あややコンサートの問題点とその打開策

上記を踏まえるかどうかは別として(笑)話を進めます。

先日、そのあややのコンサートへ行ってきましたよ(2003/04/18(土)、八王子市民会館)。
で、感想ですが、残念ながら彼女の魅力の半分も出していないんじゃないかというものでした。それは何故なんでしょうか?...
その分析結果は下記の通り。

カラオケライブの限界
私自身、特にカラオケライブ自体を問題にはしていません。
例えばモーニング娘。の様なダンス中心のエンターテインメントユニットには、そのほうが有効かもしれません。それは何故かというと、ポピュラーミュージックのバンド形態にはアドリブはつきものですが、ダンスパフォーマンスの場合バンドが少しでもアドリブをしてしまうと、緻密に練り込まれたパフォーマンスが著しく混乱してしまう危険性があります。また凝ったアレンジも多くバンドスタイルでは再現し難く、オーディエンスの多くがステージでも同じのものを聴きたいといった欲求もあるでしょう。つまり安全性・安心感を優先した形ですね。
一方あややはどうでしょう? 彼女の場合はソロシンガーであるため、カラオケである必要性は感じません。むしろ逆にカラオケであることが足を引っ張っている感があります。
前述のコラムで触れましたが、彼女は季節や楽曲で歌唱センスを変化することができる器用さがあり、そこが彼女の魅力でもあるのですが、ライブの場合は一貫性というものがより重要視されますので、歌唱センスをそれぞれの曲に近づけるのではなく、曲自身がそのコンサートの核になるコンセプトに近づかなければいけないという、コンサートの重要な部分がここでは欠落してしまっています。
バンドスタイルであれば、アレンジや曲のテンポを多少変化させ調整することができますし、キーボーディスト一人いればピアノソロアレンジ的な雰囲気をかもし出すこともできるでしょう。「LOVE涙色」など自由度の高い曲は結構あるんじゃないかと思うだけに勿体ないですね。

衣装中心のセットリストの限界
アイドルコンサートではよく後半戦の直前に、大型スクリーンを使ったミニドラマやPVの上映などを行う場合が多いのですが、それは本人・オーディエンスの息抜きを兼ねてのものである筈です。まあ使用限度は一回でしょう。
しかし彼女の今回のライブは都合三度のスクリーン上映があり。その度にコンサートの持つダイナミズムが失われてしまっています。
それはあややのコスチュームに起因するものです。
彼女のコスチュームは彼女の楽曲イメージを支える重要な要素の一つであり、それを楽しみにしているオーディエンスは多いのですが、結果的にこれが凶と出ました。問題は彼女の着替え時に発生する時間です。
先ほどのバンドスタイルの話と重なりますが、1〜2分の着替えであれば場を繋ぐことは充分できたでしょう。そうすればほとんど分断無くライブを楽しめるはずですね。
また、セットリストについては、幾つかのサイトをご覧いただければわかりますが、これも衣装を中心に考えたために重要な曲を意外な時間帯に披露してしまうといった現象も起きています。具体的には「桃色片想い」と「SHALL WE LOVE?」のどちらがが重要かということですね。「桃色片想い」についてはトリをつとめる曲ではないとは思いますが、13曲目くらいには置くべきでしょう。

...とまあ、悪い点ばかり並べてしまいましたが、良い点が一つありましたよ。
アンコールを含めた最後の曲ってなんだろう?...ってコンサートの最大の関心事の一つですよね。
通常、トリを務める曲はそのアーティストの代表曲かデビュー曲ということが多いのですが、「ドッキドキ! LOVE メール」のデビュー時のアレンジではちょっと物足りなさを感じてしまうかもしれません。
しかし秋のコンサートでは中間曲として使用された「I know」という「The 美学」のc/w曲が出色の出来で、ライブ映えすることから、アンコールでトリを務めることになったのは個人的にはとても嬉しいですね。
できることならばバンド形式で、メリハリをつけて演ってくれるともっと面白い。そうすればCoCo「EQUALロマンス」に匹敵するほどの価値が出るでしょう。