あややは本当に女性アイドルなの?

という訳で、あややに関するコラムはさらに続きます。

松浦亜弥は、もしかしたらアイドルマニアが一番取り扱いにくいアイドルかもしれないよね。
これだけキュートでプリチ〜なのに、旧来のフリフリアイドルじゃないから。

昨日も試みたけど、音楽的ルーツを探ることが、つんく♂サウンドのより深い味わい方の一つなんだけど、あややと過去の女性的アイドルを無理矢理結び付けようと試みようとした場合、かなり困難で無理があるよね?
うーん...もしかしたら天地真理の時代まで遡る必要があるかもしれない。
例えば、「あやや自転車」なんて売ってたらバカ売れするだろうね。俺も乗るかもしれない(苦笑)。君もね(笑)。
しかし、これはセールス手法的な相似であって、天地真理と楽曲的に一致するものはむしろ少ないと感じますね。

それでは一体誰なんでしょう?
あややって、もしかしたらレズっ気あるんじゃないのて程の女好きに見えて、さらに自他共に認めるナルシシストだよね。これが最大のヒント。

ん?...これって過去の男性アイドルにいませんでしたっけ?

そう、答えは沢田研二郷ひろみなどの、自己愛的な感性を全面に出してくる(単体)男性アイドルのこと。

別に彼等にホモっ気があるって訳じゃないよ。そーゆー妖しさをビジュアル的に表現すること、中性的魅力を出すことって、歌謡曲に重要かつ必要なファクターだよね?
(中性的というのはもう一つ路線があって、ムード歌謡など、女心を男が唄うという路線もあるけど、これは今回関係ないので割愛します。)

あややの場合、そーゆー要素が全てを支配してないことが特徴。
ハロプロ内ではよっすぃーこと吉沢瞳...じゃあなかった(汗)、吉澤ひとみちゃんとか、メロン記念日大谷雅恵ちゃんとか、ボーイッシュさをポジティブな感性に昇華している女の子はいるけど、これはビジュアル的というか、パーソナルな売り文句だよね。
あややの場合はそーじゃなくって、あくまでも楽曲内でイメージが完結していること、それと女性として置き換えているってことがが特徴なんです。そこが違う。

例えば「LOVE涙色」では「よろしく哀愁」的な哀愁感として、「The 美学」は楽曲は郷ひろみ的だがビジュアルは沢田研二にシフトしている。そんな感じ。
で、キリンの午後ティーは、サミーデイビスJr...ってこれは違うかな(苦笑)。

一方でそれが全く感じられない楽曲もある(主に春の楽曲群)。これらはCMソングやミュージカルなどコンセプト優先主義的な感じで、でもそれを見事に使い分ける彼女のスキルは相当のものだと思う。

では、今年の夏はどうだろうか?
GOOD BYE 夏男」では文字どおりの「夏男」君が出てくるが、これも意図的なのか、中性的な感性がチラチラしていそう。PVやHEY3でちょこっと観ただけだが、おじさん、リリースがとっても楽しみだよ。