作家は多人数がよいか?それとも少数精鋭か?(その2)

という訳で、朝から妙に離れない、このおじさんの捨てゼリフ。
それから色々頭の中で考えましたが、結論から言うと、結構いい線行ってるんじゃないですかね。

とりあえず...

松田聖子CBSソニー
ピンク・レディービクター音楽産業

...つーことで、両レコード会社のサンプルをピックアップしてみます。
(他社は割愛します。面倒なので(笑)。)
尚、タイプを3つに分けています。

イメージチェンジ型
最初は少人数の作家が携わっており、その状況でヒットを量産するも、年齢等の問題でイメージが合わなくなり、リフレッシュの為に、他の作家を積極的に採用するようになり、やがて多人数構成となること。
グレードアップ型
最初は少人数の作家が携わっており、最初の数曲は売れなかったが、徐々に売れ出すようなるアーティストに多い。
で、大ヒットの後のネクストステップに、他の作家を積極的に採用するようになり、やがて多人数構成となること。
これは初期担当の作家さん達には辛いね。
多人数型
最初から多人数で構成されている。
また、それを見越して計画されている場合もある。

まずは、CBSソニーから。

南沙織(1971年デビュー)
(参考:Cynthia StreetHOME)
筒美京平一辺倒だったものが、1975年を境に他の作家が登場します。
彼女はデビュー曲が代表曲のひとつで、永らくこのイメージを引きずっていた印象があります。で、これはベテラン域に達した彼女のイメージチェンジを図ったものなんだと思います。これを『イメージチェンジ型』としましょう。

キャンディーズ(1973年デビュー)
(参考:キャンディー・ベースHOME)
(参考:データ天国HOME)
彼女達も1976年頃から他の作家を積極的に起用しています。
デビュー当時は売れなくて、森田公一氏に加えに穂口雄右氏を投入し、大ヒットを飛ばすも安定せず、より高水準のセールスを模索する上での他作家投入は、『グレードアップ型』といえるでしょう。

山口百恵(1973年デビュー)
(参考:データ天国HOME)
彼女もキャンディーズ同様、デビュー曲は惨憺たる結果だったのですが、当時の体制のまま直ぐに体勢を立て直し、やがて大ヒットを飛ばします。
横須賀ストーリー」の宇崎竜童氏起用は『グレードアップ型』。一方「秋桜」のさだまさし氏、および「いい日旅立ち」の谷村新司氏起用は『イメージチェンジ型』に近いものがあります。
ある意味、理想に近い形です。

松田聖子(1980年デビュー)
(参考:データ天国HOME)
見た目は『グレードアップ型』でしょう。
ただ、いろいろ意見はありましょうが私は『多人数型』の応用型だと思います。
それもかなり計画的に。
初期の作品、特にシングルA面やアルバムに関しては、三浦徳子小田裕一郎コンビなどで統一するも、シングルB面は他作家の傾向があったのはこの予兆でしょう。
多分に三浦・小田コンビでしっかりしたイメージを作り、それを財津和夫呉田軽穂大瀧詠一細野晴臣らがそのイメージを崩さず膨らませていく。今のKinki Kidsにも通ずる手法ですね。
ちなみに原田真二氏は1982年のアルバムPineappleから参加しています。
ある意味、計画的ですなあ(苦笑)。
まあ、そんなこんなの状況が、私を暫くの間アイドルポップスから遠ざけていた一因でもあるんですけどね(苦笑)。

以上。
次ぎにビクター系をピックアップ。

麻丘めぐみ(1972年デビュー)
(参考:麻丘めぐみ応援会HOME)
多分に私のモストフェイバリットアイドルのひとりであろう麻丘めぐみ様は、『イメージチェンジ型』です(泣)。
イメージチェンジなんてしなくてもよかった。いつまでも恥じらいをもった乙女であって欲しかった...(以下略(苦笑))。

桜田淳子(1973年デビュー)
(参考:"My Pure Lady" Junko Sakurada 桜田淳子資料館HOME)
山口百恵が初期からイメージを固めていったのと比べて、アイドルの王道を進んでいった彼女に待っていたのは、普通ならば縮小へと向かう『イメージチェンジ型』でした。
ただ、歌以上にトータルな面での才能が豊かな彼女は、見事に歌を演じきり、このプレッシャーを見事に跳ね除けます。
その根底にある中島みゆき作品の質の高さは言うまでもありませんが、物真似で有名な「サンタモニカの風」など、中期にも代表曲は多いです。
数少ない『イメージチェンジ型』の成功例です。

ピンク・レディー(1976年デビュー)
(参考:データ天国HOME)
こちらも、少人数作家の代表例のひとつです。
但し人気絶頂で冒険を冒してしまったこと、また「ブーム」なってしまったことが運のつきでしたね。
『グレードアップ型』の大失敗例です。

石野真子(1978年デビュー)
(参考:アイドル・シングル・レコード・コレクションHOME)
つんく♂氏が多大な影響を受けたであろう彼女は、意外にも『多人数型』ですね。当時でもフォーク・ニューミュージック界の作家を使うと、その様な傾向が出るのかもしれません。
余談ですが、1979年リリースの「ワンダー・ブギ」から「春ラ!ラ!ラ!」までの楽しさはあややに通ずるものがありますね。

小泉今日子(1982年デビュー)
(参考:Club Koizumi ManiacsHOME)
おまけ。
デビューがカバー曲ってのが『多人数型』の典型なんだけど、その後のシングル(A面)は筒美京平馬飼野康二高見沢俊彦氏など、比較的少数精鋭だったりします。少しずつやる気が出てきたのでしょうね。
ちなみに、デビュー当時はB級アイドルだと思っていました(笑)。スター誕生出身で、デビュー時にも見ていますが、一目見てこりゃダメだと思いました(苦笑)。この当時はちゃんとキャンペーンやっただけ見返りがある時代だったと思いますので、このチャートアクションからみても、それは間違いないでしょうね。消費者は賢いです。
それがこれだけ売れてしまったのは、仕掛けからしても今の産業アイドルに近かったんじゃないかなあ。テレビ人気先行型っぽい感覚。
そんなこんなの状況が、私を暫くの間アイドルポップスから遠ざけていた一因でもあるんですけどね(苦笑)。

以上。
こんな感じです。
ああ疲れたよ。つーか、何か意味あるのか? この企画。
とりあえず、やる気がおきたら続けます。